川添達朗『ニホンザルの社会と生態:長期調査から見えてくる世界』

【講演要旨】
霊長類の社会や生態を調べた研究は数多くありますが、今回は「長期調査」をキーワードとして、ニホンザルにまつわる研究成果を紹介します。霊長類の社会や生態を調べるためには、長期間にわたって地道な調査を継続することが非常に重要で、体の成長のような個体の生涯にわたる変化や、季節や年ごとの変化といった個体間の関係や環境の影響を考えなければいけません。野生のニホンザルの寿命は大体20歳くらいですが、餌付けされているニホンザルでは30歳を超えることもあります。20~30年ものあいだ調査を継続して、ようやく一世代を調べることができるのです。ニホンザルの調査が長期間継続されている場所はいくつもありますが、宮城県の金華山はその一つで、1980年代に調査が開始され、現在まで40年以上も調査が続けられ、様々なデータが蓄積されています。
社会や生態を知るうえで長期間継続することでしか分からないのが個体群動態です。個体群動態とは、ある地域に生息している動物の個体数の変動を指します。たとえば、金華山には現在6つの群れが生息しており、1982年以降、個体数一斉調査(個体数センサスともよばれます)を毎年行い、ニホンザルの生息数を調べてきています。これはいわば国勢調査のようなもので、野外で行われるあらゆる調査の基礎となる重要なデータです。また、霊長類の社会を調べる方法の一つとして、顔や体の特徴をもとに一頭一頭を見分けて名前を付けて調査を行う個体識別という方法があります。識別した個体を長く観察することによって、その個体を取り巻く社会の変化を明らかにすることができます。それによって、メスは生涯にわたって群れに残る一方でオスは群れを移籍することや、優劣関係がどのようにして受け継がれていくのかが明らかになってきただけでなく、その方法も個体群ごとに少しずつ違っているようです。
今回の発表では、金華山を中心に各地の調査地のデータを紹介することで、ニホンザルの社会と生態に関する長期調査の重要性について、興味深い洞察が得られることを期待しています。

【プロフィール】
2002年に宮城教育大学に入学後、金華山でニホンザルの調査を始め、現在まで継続。京都大学大学院に進学し2016年に博士(理学)を取得後、中国の中山大学に赴任し、アカゲザルなどの研究に着手。2019年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に異動し、人類学との学際研究やタンザニアでのチンパンジー調査を開始。現在は、NPO法人里地里山問題研究所で野生動物の生態調査をもとに自然と人とのかかわりについて研究を進めている。

酒井朋子国際共創による霊長類脳イメージングの新たな地平

【講演要旨】
科学技術の進歩、特にオープンサイエンスとデータ駆動型のアプローチが、脳科学に新たな可能性をもたらしています。MRIなどの非侵襲的な技術を活用した霊長類の比較脳イメージングは、人間と他の霊長類の脳の進化における共通点と差異を明らかにし、高次脳機能や精神・神経疾患の理解に貴重な洞察を提供しています。しかし、霊長類研究は、国際情勢、政策、動物倫理の観点から、研究環境の縮小や廃止という課題に直面しています。その対応策として25機関以上が協力し、「PRIMatE Data Exchange」という国際コンソーシアムを立ち上げ、世界的にも貴重な霊長類の脳画像データの共有と共同研究を進めています。
国際的なデータ共有には法的、倫理的、社会的な障壁が存在し、これらを克服するために新しい枠組みの構築が不可欠です。この問題への対応として、私たちは日本モンキーセンターの保有する世界最大級の脳標本コレクションを対象に高磁場MRI装置を用いて、霊長類脳画像リポジトリを構築し、持続的な研究情報基盤となるようバージョンアップを行っています。最終的には、研究者、市民、政策立案者、産業界を含む多様なユーザーが安全かつ公平にアクセスできる共創の場として機能しており、国や分野を超えて新しい知識や価値観の創出を促進することを目指しています。
さらに、このリポジトリが提供する脳のデジタル情報は、霊長類学、保全生物学、環境教育において新たな発見や戦略の創出に貢献し、ライフサイエンスの未来と地球環境への理解を深めることが期待されています。今回のシンポジウムでは、国際共創によって創発される霊長類脳イメージング研究の新たな地平をご紹介し、その議論を皆様と共に深める機会を持つ予定です。

【参考情報】
日本モンキーセンター霊長類脳標本画像リポジトリ(https://www.j-monkey.jp/BIR/index.html)
Primate Brain Japan(https://primatebrain.jp/

【プロフィール】
京都大学理学研究科博士後期課程修了(博士(理学))。2012年京都大学霊長類研究所研究員。2014年慶應義塾大学医学部特任助教。2016年Johns Hopkins Medicine海外特別研究員、Postdoctoral Fellow。2019年放射線医学総合研究所研究員。2021年慶應義塾大学医学部助教及び国立研究開発法人日本医療研究開発機構国際戦略推進部主査。2024年文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)科学技術予測・政策基盤調査研究センター主任研究官、現在に至る。
15年以上にわたり、ヒトを含む霊長類の脳の進化と発達の研究に従事し、高磁場MRIを用いた霊長類脳画像データリポジトリの開発と運営を行ってきました。最近では、科学技術政策研究、特に科学技術システムの定点観測や科学技術指標調査を含む科学計量学等に従事しています。

伊藤毅長期保存される博物館の標本

【講演要旨】
博物館またはそれに類する機関では、標本は半永久的に保存され世界的に共有されることが想定されています。多くの場合、標本を利用する者は、その標本を収集した者とは異なるコミュニティ、または次の世代に属しています。コミュニティが違えば関心が異なり、時が経てば理論と技術が進歩します。したがって博物館の標本は、往々にして、それが収集された時には想像もされなかったような目的と方法で利用されます。この時間的なズレと開放的性格が、標本から得られる知見の広がりの可能性を支えています。こうした性質を持つがゆえに、博物館における標本の収集活動はしばしば無目的になされ、標本には誰でも判読可能で詳細な情報が付帯され公開されることが重要視されます。
技術の進歩は標本から得られる情報を拡大します。1990年代から自然史系の研究分野においてもコンピュータ断層撮影技術が普及し、標本を破壊することなくその内部構造を観察できるようになりました。博物館ではふつう未来の利用可能性を妨げる行為は制限されるので、非破壊的観察が容易にできるようになったことは形態学の進展を加速させました。2010年代から普及した超並列シーケンシング技術は、資料の一片から膨大なゲノム情報を取得することを可能にしました。古い標本からも比較的良好な結果が得られるため、博物館は過去のゲノム情報資源の宝庫と認識されるようになりました。
進化は、世代間隔が短い生物を除いて、ふつうは観察することができません。博物館に標本を長期保存することのもう一つ意義がここにあります。博物館の標本群は、ここ数十年の間に哺乳類と鳥類の体サイズが小さくなったことを明らかにしました。体サイズ以外の形態の変化も報告されています。これらの変化が遺伝的なものなのか可塑性によるのかを判定することは難しいですが、人間活動に起因すると思われる環境変動は野生動物の形態に少なからぬ影響を与えているようです。

【プロフィール】
京都大学霊長類研究所において、霊長類をはじめとする脊椎動物の標本の管理に携わる。2022年より京都大学総合博物館において、動物全般の標本の管理や展示に従事している。研究活動においては、現在はニホンザルの形態とゲノムの地理学的変異を調べている。

橋本(須田) 直子『タイトル』

【講演要旨】
昨今では、私たちの暮らしをさまざまな場面で支えてくれる動物たちの「心と身体の健康状態をより良く」というキーワードが身近になってきました。平飼い卵がスーパーに並び、動物園では餌を探索したり群の仲間とかかわる生き生きとした動物の姿も垣間見えます。同様に、おもに創薬や生命科学の発展に寄与する実験動物もまた、苦痛の軽減や安寧な生活への配慮がなされています。このように動物福祉向上への取り組みは増えるなか、特に霊長類は寿命が長く高次脳機能を有するため、長期的な目線でのアプローチが重要です。
飼育環境はその目的に応じて構築されますが、野生に比べて変化が少なく制約の多いなか、サルたちの生活の質(QOL)を向上させるための具体的方策の一つに環境エンリッチメントが挙げられます。例えば、野生のサルが好んで食べるものは? どんな姿勢が楽チン? サルの社会のローカルルールは? など、多岐にわたる分野の研究による科学的知見をヒントに、餌の内容や与え方、休息場所や構造の工夫、安定した群の編成などを実施します。そしてサルたちの行動や生理学的指標を用いた評価をもとに、さらなる改善につなげることができます。しかし、サルたちも個性があり反応はさまざまです。また、飼育環境における正や負の経験は24時間365日を通して蓄積されるものであり、さらに長期にわたるよりよい暮らしを提供するため、私たちが調べることはまだまだ続きます。
本発表では、サル類の飼育に携わる技術者としてこれまで取り組んできた、環境エンリッチメントをはじめとした福祉向上のアプローチを紹介します。

【プロフィール】
2006年に帯広畜産大学大学院(野生動物管理学)を修了後、京都大学霊長類研究所の研究生、非常勤職員を経て、2009年に技術職員に着任。2024年現在、京都大学ヒト行動進化研究センター技術専門職員として、霊長類の飼育管理ならびに施設管理に携わっている。